2022年8月5日2,762 ビュー View

【取材】フリーダイビング世界大会に導いた盲導犬の力 -セアまり「ゴルの魅力VSラブの引力」

作家のセアまりさんは、現在2代目の盲導犬と暮らしています。盲導犬との出会いが、自立した前向きな人生に導いたと語るまりさん。50代で初めて海に潜り、60代でフリーダイビングの国際大会にも出場し、70代では見えない目で自分の見える世界を描いた作品の個展を開いたまりさんの、盲導犬とのストーリーを紹介します。

レトリーバー,取材

かわいそうなイメージの盲導犬との出会い

「砂嵐のようだったり、川の濁流のようだったりするものの上に、幾何学模様や網のような模様、ハチの巣の模様、まるでコミック雑誌から抜け出してきたかのような、動物の顔に変化していく人の顔などが、白濁した視界の上に何億とうごめいています。

 

それらは美しい色で重なって動き、メリーゴーランドに乗っているかのようにグルグルまわったり、目の前を駆け抜けていったりして私を休ませてはくれません。

 

唯一休まる眠りから覚めて朝を迎えると、『また今日もこの世界で生きるのか』と後ろ向きな気持ちになることもありました」

 

このように語るセアまりさんは、眼病が発症の原因になる“シャルル・ボネ症候群”による幻視に悩まされていましたが、1頭の黒いラブラドールとの出会いが前を向いて歩くきっかけになりました。

 

その、少し脚が短く顔が大きめの黒ラブは、盲導犬のフリル。

レトリーバー,取材

東京と神戸で開かれた個展「景絵(ひかりえ)ー見えない私が見る世界ー」に出展された、セアまりさんの作品。シャルル・ボネ症候群によりまりさんが見えている世界

 

「まだ目が見えていた頃から、保護犬や保護猫を迎えて暮らしてきた私は、厳しいトレーニングを課せられている盲導犬がかわいそうだと感じていたんです。

 

網膜色素変性症で視野狭窄が進行してきた私に盲導犬を勧めてくれる友人がいましたが、何度も断っていました」

 

ところが、たまたま機会があって体験した日本盲導犬協会の訓練犬との歩行の際、まりさんは涙を流したといいます。

 

「出会った時、訓練犬は訓練士さんの横でしっぽをブンブン振っていました。あなたの肉はで作られているの? という感じ。

 

やさしくて、あたたかい。とてもしあわせな気持ちになったのを思い出します」

レトリーバー,取材

盲導犬も自宅ではユーザーさんとおもちゃで遊んだりします(写真はベーチェルとまりさん)

 

盲導犬の訓練士の「グッド、グーッ!」という明るい声も、まりさんには印象的でした。

 

訓練のはずなのに、まるで遊んでいるかのよう。

 

指示通りに軽やかにステップを踏んでいる訓練犬に導かれて歩くまりさんにも、ワクワク感が伝わってきました。

 

「叱られてばかりのかわいそうな訓練ではなく、できるとほめてもらえる楽しい訓練だったんですよね。

 

マイナスイメージが崩れ去ると同時に、私自身の明るい未来が見えました」

 

盲導犬がいるから得られる自信と行動力

フリルとの1ヵ月の訓練合宿が終わるころ、まりさんは自身の大きな変化に気づきました。

 

「それまでは足元ばかりに意識を向けて卑屈になっていたのに、ふりふり(※フリルの呼び名)と一緒だと背筋が伸びて、上を向いて颯爽と歩けていたんです。

 

『グッド、グーッド』と、何度も声をかけながら。

 

訓練では決して『ノー』という否定的な言葉を使ってはいけないと教えられました。

 

指示したことができたら『グッド』と、笑顔でほめて締めくくるようにと。

 

実際に、私を盲導犬ユーザーになろうと決心させてくれた『グッド』の言葉を発するたびに得意げに元気よく歩くふりふりからしあわせが上ってきて、私も楽しくうれしくなってきて。

 

訓練終盤には、グッドと声に出すたび、どんなことがあってもふりふりと一緒にがんばれると確信を持てるようになっていました。

 

『グッド』は魔法の言葉ですね(笑)」

レトリーバー,取材

段差の前にいくと「どうよ!」という様子でまりさんに教えていたというフリル(撮影:茶畑ゆか)

 

盲導犬をパートナーとして、自信を得て人生がガラリと変わった、まりさん。

 

もともとの趣味だったスキューバ・ダイビング、夢だったドルフィンスイムなどにも前向きに挑戦できるようになりました。

 

どこへ行くにも、フリルのためのドッグフードや水、マット、レインコート、タオルなどで膨れ上がったリュックを携えながら。

 

こうして約8年間、まりさんとの数えきれないほどの思い出を紡ぎ、フリルは生後1歳ごろまで過ごした“パピーウォーカー”ボランティアさん宅に10歳で戻っていきました。

 

「2代目の盲導犬のべーちゃんが来てから、いちどふりふりのところへ。

 

そうしたら、離れた場所で伏せて眺めているだけで近寄って来ないんです。しっぽふりふりの再会を想像していたんですが。

 

『よほどパピーウォーカーさんファミリーが好きなのね』なんて思いながら、帰宅。

 

するとパピーウォーカーさんから電話があり、『ふりちゃんは玄関先の道路から、まりさんの後ろ姿を、角を曲がるまでずっと見つめていたんですよ』と。

 

その日が、ふりふりにとって、本当の盲導犬生活“卒業”の日だったのかもしれません」

レトリーバー,取材

自宅でくつろぐベーチェル。フリルよりも脚が7cm長いそう

 

63歳から始めたフリーダイビングで国際大会へ

フリルに勇気をもらったまりさんは、63歳からフリーダイビングにも挑戦。

 

2代目盲導犬のイエローラブラドールのベーチェルが来てからは、重さ約3kgの1枚のフィンを装着しての素潜りレッスンにもさらに意欲的に取り組んでいます。

 

「水の中が大好きです。ポコポコという音、泳ぐと聞こえるシャーっという音やシュッシュという響き……

 

地上にはない音がする幻想的な世界が、水中にはあります。

 

水の中は心地よくて、目の見えない日常生活における恐怖や緊張やストレスなど、いろいろなものが溶けて消えていきます」

レトリーバー,取材

「胎内に戻れる」とまりさんが表現する海中で。ベーチェルは船の上からまりさんを見守ります(撮影:速形 豪)

 

まりさんは2018年3月、千葉県で開催されたフリーダイビングの国際大会に、ベーチェルとともに向かいました。

 

ーープールでも海でも、潜ると自分自身をリセットできる。そこにいられるだけでしあわせーー

 

このプールの大会でまりさんの記録は87メートル。67歳での自己記録更新でした。

 

「トレーニングをすれば、加齢と眼病の進行と反比例するかのように、記録は伸びていますね(笑)」

 

初めて出た大会の表彰式には、喜びも分かち合えるパートナーであるフリルも参加しました。

レトリーバー,取材

盲導犬用のハーネスをつけたベーチェル

 

個性の違う盲導犬たちとの毎日に感謝

コロナ禍になってからはベーチェルとの1時間から1時間半の散歩が、まりさんの日課。

 

「まだまだ挑戦したいことがとても多く、なんだかいつも焦っているような気分です。そんななか、べーちゃんと公園で過ごす時間だけがのんびりできます」

 

ベーチェルはフリルよりも甘え上手だとか。

 

「ふりふりはプロ意識が高い子でしたが、べーちゃんは、たとえば好みではな音楽会などでは『ハァ~』と、ため息をつくんですよ(笑)。

 

自己主張もできて個性的なべーちゃんは、フリルよりもさらに参加型タイプでもあります」

 

そんなベーチェルとは、一緒に船に乗ったり、SUP(サップ)に挑戦したり……。頼れるパートナーとして、さまざまなことをまりさんは楽しんでいます。

レトリーバー,取材

ベーチェルと海でサップ(SUP)にチャレンジ(撮影:木村麗子)

 

日常生活ではゴミ捨て以外、いつもまりさんと一緒にいられるベーチェルは、とても穏やで満足そうな表情を見せています。

 

「人を疑う心がなく、争うことを知らない盲導犬といると、笑顔が生まれ心が豊かになります。

 

ひとりの人として自立できているという自信と前向きな気持ちを与えてくれた、ふりふりとべーちゃんには感謝してもしきれません」

 

そう語るまりさんは、今日もベーチェルに、そして自分自身に「グーッ!」というたくさんの明るい声をかけていることでしょう。

レトリーバー,取材

セアまりさんの著書には『ふりふりが空から降りてきた』(イラスト:みちる/燦葉出版)、『もうどう犬べぇべ』(イラスト:平澤朋子/ほるぷ出版刊)、『もうどうけんふりふりとまり』(イラスト:はまのゆか/幻冬舎エデュケーション)があります。

 

 

執筆者:臼井京音

ドッグライター・写真家として約20年間、世界の犬事情を取材。30歳を過ぎてオーストラリアで犬の問題行動カウンセリングを学んだのち、家庭犬のしつけインストラクターや犬の幼稚園UrbanPaws(2017年閉園)の園長としても活動。犬専門誌をはじめ新聞連載や週刊誌などでの執筆多数。

 

いいなと思ったらシェア

おすすめ記事

  • レトリーバー,Ta-Ta,タータ